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明治維新-西郷隆盛・勝海舟・の他に 江戸無血開城に奔走した人物がいた~BS TBS番組「諸説あり!」より

9月8日(土)放送のBS-TBS番組 『諸説あり!江戸無血開城の真実』22:00開始 が、大変面白かったので紹介致します。

幕末から明治にかけてのクライマックス
江戸の無血開城は、西郷隆盛と勝海舟によってなされた というのは有名な事実です。東京が今繁栄しているのも、明治維新の際に江戸が戦場にならなかったからーです。
無血開城の裏には、2人の他にも意外な人の活躍や 新政府軍の事情があったそうです。

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BSーTBS「諸説あり!」より

    目次

 


江戸無血開城

慶応4年1月 鳥羽伏見の戦いで幕府軍が負けると、第15代将軍 徳川慶喜 は江戸へと逃げ帰りました。西郷隆盛率いる新政府軍は、それを追いかけて江戸へと進軍。
江戸総攻撃は3月15日と決定していました。
ところが3月14日に、江戸総攻撃の中止が決まりました。
江戸攻撃を止めた 新政府軍 西郷隆盛 と 江戸幕府陸軍総裁 勝海舟の会談。
その前に、実は西郷が別の人物に会っていた という説がありました。

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  BSーTBS「諸説あり!」より 西郷隆盛 と 勝海舟

江戸無血開城の前に西郷が会った男

西郷と勝が談判した4日前
3月9日 徳川慶喜の命により、山岡鉄舟(徳川慶喜の警護 責任者)が西郷がいた駿府に到着。
山岡鉄舟は「慶喜公は敵対することはありません」と攻撃中止を願いました。

それに対する西郷が出した条件は 5つでした。

 1江戸城の明け渡し
 2江戸の家臣を向島へ移す
 3武器の引き渡し
 4軍艦の引き渡し
 5慶喜を備前藩へ預ける

鉄舟は、5番目の慶喜の備前藩送りだけは受けいれませんでした。備前藩は新政府軍のため、慶喜公の命の保証がないためでした。
西郷は、鉄舟の願いを受け入れ、これが、勝海舟との会談のプレ交渉となりました。
政治の世界では、事前に関係者の間でだいたいの骨子ができていることは、よくあることのようですね。それが、表にでることはほとんどありません。
その後3月13・14日に 実際に西郷隆盛と勝海舟の会談が 港区芝 で行われました。

また、山岡鉄舟が駿府へ入るときに 清水次郎長が助けてくれた(護衛)と番組内で出演者の黒鉄さんが語っていました。 ホホーウ

新政府軍は財政難だったため、江戸無血開城はラッキーだった

鳥羽伏見の戦い で勝利した 西郷率いる新政府軍でしたが、慶喜が逃げてしまったため、想定外に江戸まで進軍することになってしまいました。新政府軍は、藩の武士だけでは足りず、人数集めに農民や町人までも雇っていたため、給料を払わなければなりませんでした。
武器弾薬やその運搬費用もかさみました。
もし、内戦がおこり江戸が壊滅しても、街を復興する資金はなかったことでしょう。
戦わずしてすんだことは、奇跡でもあり、ラッキーなことでした。

江戸幕府をスムーズに終わらせた人物は尾張の徳川義勝

尾張徳川家第14代藩主 徳川義勝 は鳥羽伏見の戦いの後、新政府側につくことを決断。今は天皇を中心にまとまるべき(勤皇)と、東側の徳川親藩を説得したのでした。新政府軍は、戦わずして江戸まで進むことができました。

当時、イギリス・フランス・ロシアなどが、日本を意のままにしようとしていました。日本の中で内戦がおこると、イギリスやフランスをバックにして戦うことになり、結果植民地のような状態になりかねなかったからです。そのあたりを、当時革命をおこした人々や徳川義勝は、見抜いていました。
江戸城の受け取りは、薩摩藩ではなく尾張藩が行いました。徳川の大名 尾張藩が江戸城に入ったため、中にいた武士との間に血をみることもなく、平和に行われた とのことです。

以上、すべて番組を視聴して、歴史に素人の私が初めて知ったことでした。私が紹介したのは、かいつまんでおり一部です。
出演者は、堀尾正明さん 吉川美代子さん 黒鉄ヒロシさん でした。その他研究者の皆さんの解説映像とともに、たいへんわかりやすく、妙に騒がしくないタンタンとした進み方が気に入りました。
皆様もよろしかったら、見てみてください。毎回テーマは全く異なります。
諸説あり のスタンスで視聴したら楽しめますよ。

#江戸無血開城 #西郷隆盛  #勝海舟  #山岡鉄舟  #徳川義勝

 


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